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since 2024 8/7スペースupdate 2024 11/22

■ 首骨折 治療記録 ■

ピロリ菌

■ 概要

交通事故により首(頚椎)を骨折、脱臼する。
その治療経過をここに記す。

■ まとめ

交通事故を起こし、救急車に乗せられ病院に行く。

当日の検査により、入院、手術が必要との診断を受ける。
怪我の内容は、第2頚椎を骨折、第3頚椎を脱臼。

治療の内容は、以下の通り。

・手術により、腰骨の一部を第2頚椎に移植。脱臼を治す。プレートにより第1第2第3頚椎を固定する。
・骨が固まるまで、約3ヶ月カラーにより首を固定する。

社会復帰まで、39日間の入院、57日間の自宅静養。

以後、普通の生活を行いながら、通院を行う。
プレートが装着されていると、首の左右と上むきの動きが制限される。
約1年後、プレートを取り去る手術を行う。

治療費用は、自動車保険を使用する。ただし、自動車保険で補償されない出費もある。
車の処理と自動車保険の対応の詳細は、以下にまとめる。

車の処理と保険

■ スケジュール

日時

経過日数

内容

備考

2024年5月1日(水)

1日目

事故当日

-

2024年5月10日(金)

10日目

手術予定

直前で中止

2024年5月24日(金)

24日目

手術

-

2024年6月7日(金)

31日目

抜芯

-

2024年6月9日(日)

40日目

退院

-

2024年7月1日(月)

62日目

通院

固定器具交換

2024年8月6日(月)

98日目

通院

固定器具を取る

2024年8月7日(火)

99日目

会社復帰

本格復帰は後日

2024年11月5日(火)

194日目

通院

CTスキャン。通院終了

■ 事故当日

日時:2024 5/1(金)

(1)交通事故
高速道路を走行中、サービスエリアから出て、本線に戻り、前に大型トラックがいたため、追い抜き車線から抜かそうとした。
ウインカーを出しハンドルを切り、追い抜き車線に移動したところで、車の制御ができなくなった。
後輪が滑り、ハンドルでたて直そうとしたが、中央分離帯に一度ぶつかり、道路脇の法面に衝突して止まる。
路面は先に降った雨で濡れていた。

衝突した時に頭が前方に激しく振られ、後ろに戻る。
車内全てのエアーバックが開くが、ハンドルのエアーバックに頭は当たらなかった。

衝突後、体の様子を見ると、手足は問題なく動く。首が若干痛い。

(2)警察、救急への連絡
車内に搭載された衝突センサーにより、電話がかかってくるが、保険会社からの電話と勘違いし、あまり有効な会話はできなかった。
この時の電話は、後日電話番号から交通機動隊から電話であったと確認できる。
警察、救急車への連絡は、後続の車が止まってもらった方から連絡してもらった。

事故後、車内にとどまっていたが、道に置いてもらった発煙等の煙をエンジンから出ているものと勘違いし、自分で車外に出る。

(3)救急車
そのうち、警察と救急車が到着し、救急車に自分で乗る。
乗る時に車内にカバンがあるので、それを一緒に救急車に乗せて欲しいと依頼する。

救急車のベットに寝かされ、首が痛いと伝えると、首に固定用のカラーを巻かれる。

警察が来て、車を移動させるためのレッカーを依頼して欲しいと言われる。

スマホの保険会社のアプリからレッカーを依頼しようとするが、顔認証ができずログインに手間取る。
結局、警察がレッカーを用意することになった。

(4)病院
病院:倉敷中央病院
救急車が発車して、約20分後に病院に到着する。
体の中で痛いところは、首と伝える。頭を後ろに曲げると激しい痛みが出る。
他に体に痛みはない。

CTスキャナーで検査。検査結果は、ここでは伝えてもらえなかった。
1時間ばかり、この病院にいたが、他の病院に転院させられる。

病院:川崎医科大学附属病院
また約15分ばかり救急車に乗せられ、他の病院に到着する。
ここでもCTスキャナー、MRIで検査される。

服を脱がされる。腕が上がらないため、着ていたTシャツは、ハサミで切られる。
男性器の先っぽからチューブを入れられる。

(5)ICU
集中治療室ICUに移動する。
移動した後、医者から頚椎の2番目が骨折、3番目が脱臼しているため、手術が必要なことを伝えられる。
頭を固定するハローベストを付けることを同意されられる。

ハローベストを付ける。

家族が来て、医師から説明を受けている声が遠くから聞こえる。
あとで言いた話では、ここで入院のための説明や入院に必要なものの購入を行ったらしい。

家族と少し話をする。
首が動かすと痛いだけで、意識はあったため、普通に会話はできる。

この日は集中治療室ICUで就寝する。

■ 入院中

■ 2日目

午前中、家族がまた来て、少し話をする。
個室の集中治療室ICUに移動する。
集中治療室ICUは、スマポ使用禁止、テレビの視聴はカード購入する必要がある。
体も動かず何もすることがないため、ラジオを持ってきてもらった。
食事は、流動食をスプーンで看護師に食べさせてもらう。

■ 3日目以降

救急科の個室に移動する。
こちらではテレビが設置され、スマポも使用可能。
食事は自分で食べることができるが、頭をベットから持ち上げることができないため、串食を用意してもらう。
串食は、おかずが串に刺さっており、ご飯はおにぎりで、水分ができるだけ垂れないようにした献立。

私にハローベストが合わないためか、体を起こそうとすると、首筋あたりに強い痛みが走る。
そのため、この時点ではベットから体を起こすことができなかった。

手術は5/10の予定と伝えられる。

リハビリが始まる。
体を起こせないため、足の屈伸など歩く機能が衰えないようにする目的の運動が主。

あいまにベットに寝たまま、移動してCTスキャンやレントゲンの検査を行う。

一番多い時は、点滴2本、心電3本、血中酸素飽和度1本、バルーン1本、両足に血栓ができないようにするパンプ2本つけられており、常に天井しかを見ることのできない状態だった。

■ 5/10

朝の5時に採血を行う。
AM7時にこの日の手術は延期になったことを知らされる。
肝臓の数値が悪く、全身麻酔に支障があるためとのこと。

■ 11日目以降
痛みが出ていたハローベストのピンの位置を変えてもらう。左の耳の後ろ1箇所。
体を起こしても、激しい痛みが出ることがなくなった。
その後、体を起こす、立ち上がる、歩くが徐々にできるようになってきた。

救急科の4人部屋に移動。

■ 12日目、13日目
高熱が出る。
最高38.9度まで体温が上がる。
黄色ブドウ球菌による膀胱炎とのこと。
男性器につけたチューブの交換時に院内感染したと思われる。
点滴からの抗生剤により、熱は徐々に下がる。

■ 14日目以降

手術日が5/24と決まる。

車椅子でトイレにも行けるようになる。

■ 5/24
手術当日
車椅子に乗り、手術室に移動する。
手術台に仰向けに乗せられ、マスクにより何かの気体を吸引させられ、意識がなくなる。

3時間後、名前を呼ばれ意識が戻る。
意識が戻った時は、ベットに寝かされ、ハローベストが取れていた。
ベットに寝かされたまま、病室に帰る。
この日、食事は出されなかった。
麻酔が効いているためか、痛みはあまりない。

■ 5/25
手術あとの痛みが強くなってきた。
日中は、痛みのため食事もとることができない。
夜、寝ることができないため、強い痛み止め薬を頼み飲んだところ、寝ることができた。

■ 26日目以降
男性器についていたチューブも取れ、自分で小便ができるようになり、オムツからパンツになる。

洗髪を行っておらず頭からの匂いもきつくなってきた。4週間ぶりに髪の毛を看護師さんに洗ってもらう。
その後、シャワーも浴びれるようになる。
初回のみ介助を行ってもらい体を洗ったが、2回目以降は自分で所定の表に予約をとり、一人で行えるようになった。

これまではリハビリは病室まで来てもらっていたが、自分から指定の時間にリハビリ室まで移動し行えるようになる。

食事も串食から一般の献立になる。
カラー
入院33日目で、入院食以外の食べ物を購入し、食べることができるようになった。

■ 6/7
術後、2週間経ったところで、抜芯。
抜芯が終了すると、いつ退院しても良いとのこと。

■ 6/9
退院する。
その後、自宅静養。

■ 治療と手術

■ 手術前日
入院から3日目くらいに5/10(10日目)に手術の予定と告知される。
しかし、手術当日の朝に肝臓の数値が悪く全身麻酔に支障があるため、5/10の手術は中止となった。

その後、肝臓の数値を治す期間と黄色ブドウ球菌による膀胱炎などで、手術が2週間延期される。

5/24に手術が決定される。

前日にガウンのような手術用の服に着替える。

■ 手術当日
9時に車椅子に乗せられ手術室に向かう。

手術台にうつ伏せで乗せられ、何かの気体を吸引機から吸引する。
同時に点滴から麻酔薬を投入されている。
約5分で意識がなくなる。

名前を呼ばれる声で、意識が戻る。
意識が戻った時はベットに寝かされていた。
手術時間は、3時間半くらい。

ハローベストが取り外されていた。手のひらなどに針を刺した後がある。
痛みはない。

その後の問診などで、手術の内容を知らされる。

・首の中心から少し外れた場所を背骨が見えるまで皮膚を切り、開く。
・頚椎の脱臼を治す。元の位置に医師が手を使用し戻したとのこと。
・骨折により足りない骨を補充するため、骨盤の骨をとる。腰にメスが入る。
・第2第3の頚椎をつなげる。どこかに骨盤の骨を取り付けたらしい。
・第1第3の頚椎をプレートで固定する。
カラー

■ 手術後
翌日の朝から断片的に強い痛みが出てくる。朝食と夕食を食べることができなかった。
夜も眠ることができす。強い痛み止めをもらい、それから眠れるようになる。
次の日(手術翌々日)からは、ある程度我慢できるような痛みになる。
腰の手術痕は、1ヶ月程度特定の体勢になると痛みが出て、寝返りなどに支障があった。
骨が固定するまで、首は前後は良いが、左右に強く動かすなと言われた。
カラー
手術直後。血が溜まる容器を枕元に置いて寝ているところ。

■ その後
骨が固まるまで、首が固定されるような固定器具を装着する必要がある。
アドフィットUDカラーを1ヶ月半、カラーを1ヶ月半付けるように指示される。
固定器具を装着すると、頭が左右に回せないため、車の運転は難しい。

私の希望で装着期間を短くしてもらった。
1回目の受診で、アドフィットUDカラーを外して、
2回目の受診で、カラーを外しても良いと診断してもらう。
3ヶ月の診断であったが、2ヶ月半で静養期間を終了する。

■ その後の予定
次の診断は3ヶ月後。
その後、また3月後に取り付けられたプレートを取り去る手術を行う予定とのこと。

■ 入院中の排泄と入浴

■ 排尿
トイレに自分で行けない状態の時は、男性器の先から膀胱までチューブを入れられ、尿はビニール袋に溜められる。
バルーンと呼ばれるらしい。
バルーンは事故当日に入れられる。特に同意は取られなかった。
バルーンを入れられたあと尿意があったため、通常と同じように尿を出したところチューブの横から漏れた。
もう一度、お漏らしを繰り返したあと、径の太いチューブに交換される。チューブの径が合わなかったらしい。

正常な状態では、尿意なく自然に尿がビニール袋に溜まっていく。
尿意が出てきた場合は、チューブが折れ曲がるなど詰まっている場合がある。チューブの詰まりを治すと尿意はなくなる。

手術後、一人で歩けるようになると、バルーンが外される。
約4週間、取り付けていた。
バルーンが外されたあと自分でトイレに行けるようになったが、3回ばかり尿が自分で止めれないことがあった。
そのため、バルーンを外したあと自分で排尿をコントロールできるようになる5日ばかりオムツを履き続けた。

■ 排便
トイレに自分で行けない状態の時は、ベットの上でオムツに行う。

ベットで寝ながら排便する経験がないため、なかなか出ない。そのため、便秘となる。
5日間くらい排便がないと、浣腸を行う。便秘と浣腸を自分でトイレまで行けれるようになるまで3回繰り返した。
入院3週間目くらいに車椅子で移動できるようになってから、作業療法士の介護でトイレまで連れていってもらい、排便を行えるようになった。

■ ベットから移動できない時期の入浴
体の清掃は、介護士にベットの上で行ってもらう。
下着や入院服は、2日に一度交換される。その時に手足や体を泡をつけて洗われる。
バルーンをつけているため、男性器は1日一回は洗われる。
髪の毛はハローベストをつけているため、洗えない。一度だけ水を使用しないシャンプーを使ってもらったが、あまり効果はなかったような気がする。

■ ベットから移動できるようになってからの入浴
手術後、4週間ぶりに看護師さんに髪を洗ってもらえる。濡れないようにテープで手術跡を覆ってから洗髪したため、襟足の部分は洗えなかった。
次の日、看護師さんに手伝ってもらい、全身をシャワーで体を洗う。

その後、一人でシャワー室で髪や体を洗えるようになる。シャワー室はナースステーション前にある表で予約を取る。一人30分。
手術跡を覆っているテープは髪が生えている部分にかかっているため、毎回剥がれてつけ直してもらった。

■ 首の固定器具

■ ハローベスト
ハローベスト
事故当日、検査により頚椎の骨折が判明した後に取り付けられた。

4つのボルトを頭蓋骨に固定する。ボルトのついたリングを胸に装着するベストに固定し、頭が動かなくする。
4つのボルトを頭蓋骨に固定する方法は、ボルトを埋め込む場所に麻酔の注射を打ちながら、ねじ込んでいく。
毎日、ピンが埋め込まれた部分を消毒し、ガーゼを撒かれる。

本来は装着した状態で歩き、外出までできるとのことだが、私の場合は装着した後、体を起こした時に頭に強い痛みが出る。
左耳後ろのボルトの打ちどころが悪かったらしい。
手術日が延期された後、ボルトを打つ場所を変更してもらった。
その効果か、体を起こしても痛みが出なくなり、体を起こし歩行のリハビリができるようになった。

手術の時の意識のない時に取り外される。

取り外した後、返してもらえるが、今後は使用することがないと思われるので、病院で廃却してもらった。

■ アドフィットUDカラー
事前に手術前に販売店が体の各部の長さを測る。
アドフィットUDカラー
アドフィットUDカラー
値段:22217円
頭と顎を体に固定し、頭を動かなくなる。おでこに装着するバンドも付いていたが、私の症状ではやらなくても良いとのこと。
自分で取り外しできる。食事時、睡眠時には取る。
歩行時やリハビリ時には装着する。頭をあまり動かさないベットの上では装着しなくても良いとのこと。
通常装着する時は、汚れと同じ場所に圧がかからないように顎と器具の間にガーゼを挟んだ。

一人で装着できるようになれば、退院しても良いとのこと。
退院後の自宅静養中も行動する時は、装着した。通院のための移動時も装着したまま。
頭が左右に回せないため、車の運転は難しい。

■ カラー
カラー
カラー
値段:7844円
7月1日の受診で指示をもらい、アドフィットUDカラーと交換し装着する。

首の周りに取り付け、頭を動かなくする。
歩行など行動する場合は装着する。装着したまま、電車や新幹線に乗る。
直接、装着するのではなく、汗対策のためカラーと体の間に布を挟んだ。

2回目の通院でとっても良いとの指示をもらう。

装着している時は頭が左右に回せないため、車の運転は難しい。

■ 病室

■ 入院1日目
検査後にカーテンで仕切られてベットがいくらか並べられたICUに連れて行かれる。

■ 入院2日目
昼に一人部屋のICUに移動する。
スマートフォンなどの通信機器の使用は禁止。テレビはカードが購入することで見ることができる。
暇なので、ラジオを用意してもらった。

■ 入院3日目
カラー
救急病棟に移動。一人部屋。トイレ、シャワー室があるが使用しなかった。
テレビは、無料で見ることができる。
これからの病室には、すべて小さい冷蔵庫が付いている。
費用は一泊13200円

■ 入院11日目
カラー
救急病棟の4人部屋に移動。部屋の移動は自分からの意見や意思ではなく、当日知らされ移動される。
1泊必要経費のみの495円。
入った日は4人部屋に私一人のみであったが、その後数日で4人埋まった。
私以外の3名は、高齢の方。
4人とも介助なしでベットから出られない患者のため、夜も頻繁に看護師が来て騒がしい。
テレビがあるが、4人部屋のため音声はイヤホンで聞く。

■ 入院27日目
手術が終了し、ベットから出て自分で出歩けるようになって、救急病棟から整形外科病棟に移動する。
1泊3520円。
通路側のため、前の部屋より暗い。
この病室に入院している患者は自分で出歩けるため、夜も静か。
4人部屋。直接姿は見れなかったが、1名は学生のようだった。
次々に退院、転院していき次の部屋への移動前には私一人になった。

■ 入院35日目
4人部屋。値段が安い。1泊必要経費のみの495円。
前の部屋との違いは、ベットの間がロッカーからカーテンになったくらいで、あまり違いはない。
ここに1週間ばかりいて退院する。

■ 入院食

■ 入院1日目
なし。

■ 入院2日目
流動食。
体が起こせないため、寝たまま看護師にスプーンで食べさせてもらう。

■ 入院3日目から28日目
串食
串食。
おにぎりと串に刺さったおかず。汁物はない。
体が起こせなくテーブルの上まで頭が届かない時に用意される。
テーブルの上まで頭を起こせないため、献立は何が出されているか分からず、食事は手探りで行う。
朝食は、パンと牛乳(ヤクルト)

■ 入院29日目から退院まで
普通食。
昼食に週に一回程度麺類が出される。
特別なメニュー
記念日には、特別なメニューが出る。
朝食は日本食が用意されるが、55円の追加でパンと牛乳(ヤクルト)が選択でできる。

■ リハビリ

■ ベットから起き上がれない時期
入院3日目からリハビリが始まる。
特に知らされておらず、療法士が部屋まできて行われる。
リハビリは、理学と作業の2種類あり、理学が「身体機能の回復や維持を目的としたリハビリ」、作業が「日常生活の動作や活動に焦点を当て、患者の生活の質を向上させるためのリハビリ」とのこと。
ベットから起き上がれない時期は、理学と作業どちらも手足の屈伸など筋肉量を落とさないようにするリハビリが主。

■ ベットから起き上がれるようになってから
ベットから起き上がれるようになると、理学は歩行、作業がトイレ補助などを行う。
「2週間ばかり寝たきりだと自力で立ち上がるのは難しい」と医者から言われていたため、立ち上がりや歩行は恐れながら行った。
しかしそれほど筋肉量は落ちておらず、3週間寝たきりであった後も歩行は問題なく行うことができた。
膀胱炎で高温が出た時と手術直後は、リハビリをキャンセルした。

■ 自分で歩き回れるようになってから
リハビリが行われる時間割をもらい、その時間に合わせて自分でリハビリ室まで移動する。基本、理学療法と作業療法の1日2回。
理学は、筋トレ、エアロバイクを使用した有酸素運動など
作業は、一度だけ階段の上り下り、浴槽への出入りが自分でできるか試した後は、歩行が主。
退院前には、首の動き以外は普通に行動できたため、作業療法の方はもうやることがないと言われた。

■ 自宅静養中
筋トレと4kmの散歩を毎日行った。

 

■ 入院中の娯楽

■ ICU
スマートフォンなど電波が出る機器の使用は禁止。
テレビは、カードを購入し見ることのできるタイプ。
私は体は動かせないが、意識はあり暇だったため、看護師さんにラジオを持って来てもらった。
ラジオは、医師寄贈と張られていた。電波が悪く1つのチャンネルしか聞くことができない。

■ 一般病棟でベットから起き上がれない時期
無料で見ることのできるテレビがある。
ただし、頭を動かせたいときは画面を見ることができないため、音のみ聴く。4人部屋の時は、テレビはイアホンする。

Wi-Fiが使用できるため、スマートフォンがアプリや動画を見ることができる。
頭を動かせない時期は、スマートフォンの画面が見えるように腕を長時間固定できないため、主にポストキャストを聞いていた。

■ ベットから起き上がれるようになってから
普通にテレビを見たり、タブレットが使えるため、音が出せない以外は自分の部屋と変わらない。

 

■ 静養、通院

静養中はほぼ部屋におり、体力を付けるため毎日散歩(ウォーキング約4km)を行った。

手術を行った病院は自宅から遠い場所のため、通院先は手術を行った病院から自宅近くの病院に転院した。
自宅から近い場所で頚椎の治療ができる病院を探し、紹介状を出してもらい、転院先に提出する。

静養の初めの頃は、首を動かすことができず、腰の手術あとも体を動かすと痛みが走るため、辛かった。
静養終了前は、首の動き以外は元に戻りつつあった。

1回目の通院(62日目、術後38日)
レントゲンで頚椎を固定したプレートが動いてないことを確認される。
2回目の通院(98日目、術後75日)
問診のみ。首の固定器具をとっても良いと言われ、静養期間を終える。
3回目の通院(194日目、術後171日)
CTスキャンで検査。プレートを取らないなら、ここで定期の通院は終了。
プレートを取るなら、術後1年後にプレートの摘出手術が行う。

■ 静養後

首の固定器具を取ってから、職場復帰を行う。

会社復帰のタイミングは、自分で考える必要があった。
首の固定器具を装着して仕事もできないことはなかったが、車が運転できず骨が固まる前に首に強い力が加わると危険なため、固定器具を外して良いと診断されてからの会社復帰とした。
ただし、すぐに会社の夏休みに入ったため、本格復帰は休み明けから。

プレートが装着されたままだと、首の左右と上むきの動きが制限される。
3回目の通院で、ジョギングを行っても良いかと言いたところ、問題ないとのこと。
もしかしたら、首の固定器具をとったところから、激しい運動をしても問題なかったのかもしれない。

■ 費用

■ 通院
日時:2024年5月1日(水)
病院:倉敷中央病院
支払い金額:16176円(自動車保険で支払い)

■ 入院、手術費。
日時:2024年5月1日(水)〜2024年6月9日(日)
病院:川崎医科大学附属病院
支払い金額:
5月分 152513円(自動車保険で支払い)
6月分 93042円(自動車保険で支払い)
自動車保険で保証されない金額:35759円

■ 固定器具代。
アドフィットUDカラー:30061円(自動車保険で支払い)
カラー:30061円(自動車保険で支払い)

■ 通院
日時:2024年7月1日(火)
病院:広島総合病院
支払い費:20100円(自動車保険で支払い)

■ 通院
日時:2024年8月6日(火)
病院:鈴鹿回生病院
支払い費:810円(自動車保険で支払い)

■ 通院
日時:2024年11月5日(火)
病院:鈴鹿回生病院
支払い費:?円(自動車保険で支払い)

■ 感想

救急車に乗せられるのも、入院するのも初めての体験だった。

入院中、辛かったことは、黄色ブドウ球菌の院内感染による膀胱炎で高熱が出たことと手術後の傷あとの痛み。
ハローベストを装着している時に体を動かすと、強い痛みが出る時もつらかった。

骨折も初めて。
頚椎(首の骨)を骨折すると、四肢(手足)に痺れや動作不全が起こる場合が多いとのこと。
手足に問題がなかったのは、多くの人から幸運だったと言われた。

静養後に残った障害は、首の可動の制限と耳の後ろ側の頭の麻痺。
耳の後ろ側の頭の麻痺は、頭を洗う時以外は気にならない。
首の可動の制限は、生活時に気になる。
約1年後にプレートを取れば、元の体に戻るかもしれない。

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